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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)12363号 判決

原告

中村敏夫

被告

株式会社アラウン

右代表者代表取締役

荒川八郎

右訴訟代理人弁護士

込田晶代

安西愈

石渡一浩

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告が、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成一〇年七月一一日以降、毎月四日限り金三三万〇八四〇円及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、解雇を通告された原告が、右解雇は無効であるとして地位の確認と賃金の支払いを求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  被告は、日本IBM株式会社(以下「日本IBM」という)のコンピューター部品運送、在庫管理、故障受付等を義務とする会社である。

原告は、昭和五七年七月一四日、被告に雇用され、大阪市北区(以下、略)にある日本IBM堂島事業所に勤務していた(書証略)。

被告は、日本IBMから、電話によるコンピューターの故障受付等の業務を委託され、堂島事業所は右業務を扱っており、原告も右業務に従事していた。

被告会社では、従業員に対する賃金は毎月二〇日締切りで翌月四日に支払われており、原告の平成一〇年五月及び六月分の賃金を平均した月額は三三万〇八四〇円であった。

2  被告の就業規則には次の規定がある(書証略)。

「三一条 社員が、次の各号の一に該当するときは解雇する

〈1〉 精神または身体上の障害により職務遂行上支障あると認めたとき

〈2〉 勤怠不良で改善の見込がないと認めたとき

中略

〈4〉 職務遂行能力または能率が著しく劣り、上達の見込がないとき

被告は、原告に対し、平成一〇年七月一〇日、原告が就業規則の右各号に当するとして同日付で解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という)

3  なお、右就業規則には特別休暇として次の規定がある。

「五四条 社員が次の各号の一に該当する事由により特別休暇を与える

中略

〈8〉 私傷病及び疾病にて入院又は安静(自宅療養)を必要と認められた場合 三日

ただし、医師の診断書の提出を必要とする」

(以下で、「病気欠勤」というときは、これに該当する場合をいう)

〈9〉 その他やむを得ざる事情により出勤不可能なとき

必要時間および日数」

二  争点

本件解雇に、被告が主張する解雇理由があるか否か

三  当事者の主張

1  被告

(一) 被告は、以下のとおり、原告の出勤状況が定まらず、勤務ぶりが劣悪であったことから、前記就業規則三一条一号、二号及び四号に基づいて本件解雇を行ったものである。

(1) 原告の出勤状況

原告は、かねてより病気欠勤、欠勤が多く、平成八年七月期(賃金締切日との関係から、以下で「月期」という場合は前月二一日から当月二〇日までをいうものとする)に三日間病気欠勤、八月期に一〇日間欠勤、九月期に三日間病気欠勤、、同年一二月期、平成九年一月期、同年五月期、七月期に各三日病気欠勤があり、出勤状況は不良であった。

そして、原告は、平成九年七月二一日から「声帯炎」及び「慢性咽喉炎」を理由に欠勤を続けた。

このため、被告は、就業規則に基づき、同年一〇月二一日付で休職を発令した。

原告は、平成一〇年四月二一日に復職したが、その後の勤務状況は別紙勤務状況一覧表記載のとおりであった

堂島事業所の電話受付業務は二四時間体制で行われており、いずれの時間帯においても必要人員を確保する必要があり、同事業所所属の従業員については交替勤務性を実施し、各従業員の勤務時間は、希望を聞いて調整し、毎月の勤務割表で指定されることとなっている。勤務割表作成後の勤務の変更は、人員確保に困難を来たし、業務に支障を生じる。

原告の勤務状況は、それ自体、債務の本旨にしたがった労務の提供とは認められないのみならず、勤務割表作成後に事後申請した年次有給休暇(以下「年休」という)の取得、病気欠勤、欠勤等が多く、勤怠は劣悪というほかない

右のような原告の勤務状況は、就業規則三一条一号及び二号に該当する。

(2) 原告の勤務態度

原告が従事していた電話受付業務は、電話が鳴ればできるだけ早く電話に出て、故障内容等を正確に聞き、日本IBMの技術員に連絡するなどしなければならないのであるが、原告は電話が鳴っても出ようとせず、被告から再三注意されても、その態度は改まらなかった。また、受け付けた電話に対しても適切な判断ができなかった。

原告の業務遂行能力は極めて低いものであり、改めようとの姿勢もなく、改善の見込はない(就業規則三一条一項四号)。

(二) 原告が昭和六三年二月、被告に労働基準法違反がある旨労働基準監督署に申告したこと、同年三月被告が原告を解雇したこと、賃金仮払いの仮処分命令が出されて被告が右解雇を撤回したこと、原告が平成一〇年三月三〇日、大阪簡易裁判所に調停を申し立てたこと、右調停が不調となり、原告が、さらに、同年六月五日、大阪地方裁判所に損害賠償請求の訴えを提起したこと、同年七月三日、第一回口頭弁論期日が開かれたことは認めるが、本件解雇が労働基準法違反事実を隠蔽する目的であることは否認する。

2  原告

(一) 別紙勤務状況一覧表記載の原告の出勤の有無自体は認める。しかしながら、その処理等は以下のとおり争う。

(1) 平成一〇年五月期の事後申請による年休取得が多いのは、復職時、原告の希望を聞くことなく勤務割表が作成されたこと、原告が上司からいつでも年休を取って構わないと言われていたことによる。同年六月期以降には事後申請による年休取得はない。

(2) 五月六日及び七日の欠勤については、原告は診断書を提出しており、病気欠勤であり、特別休暇を認められたものである。

(3) 五月一二日を年休としたのは、被告から命じられた健康診断受診のため同日欠勤することとなったが、指定医の受付時間が午前九時から一〇時三〇分までの短時間に限られていたため、結局受診できず特別休暇が認められなかったものである。

(4) 五月二二日、六月四日、七月二日及び三日はいずれも原告が被告を相手として申し立てた調停または訴訟に関係する日である。

被告は、原告に対し、裁判関係で出勤できない日は特別休暇として処理し、裁判所までの交通費も支給すると約していたのであり、現に四月二八日の調停期日については特別休暇として処理されている。

しかるに、被告は右約定に反し、特別休暇を付与しなくなったので、原告は後に交渉するつもりでとりあえず欠勤にしておいたに過ぎない。

(5) 同年六月二五日、三〇日、七月一日、六日ないし八日(七月三日も同様)について、いずれも、原告が、実父の末期肺癌に対応するために欠勤した日である。実父の病状については上司に説明しており、了解を得て欠勤したものである。

右のうち、原告の実父が入院した七月六日とそれに続く同月八日までの欠勤は、就業規則規則五四条一項九号に該当し特別休暇が認められるべきである。

また、六月二五日の欠勤について午前一時四〇分ころ電話したのは、その時間が現場の責任者である金城の勤務時間だったからである。

(二) 勤務態度について被告が主張する事実は否認する。

(三) 本件解雇の真の理由は、被告の労働基準法違反隠蔽である。

被告は、長年に亘り従業員に休憩時間を付与しないなどの労働基準法違反を行ってきていた。

原告が昭和六三年二月、右違反事実を天満労働基準監督署に申告したところ、その一週間後に被告は原告を解雇した。原告が地位保全等の仮処分を申請し、賃金仮払いの仮処分が出されると、同年七月、被告は右解雇を撤回した。

今回も、原告は復職に当たり、休憩時間を付与してくれるよう懇請したが、被告はこれを拒否した。このため、原告は平成一〇年三月三〇日、大阪簡易裁判所に調停を申し立てたが、右調停が不調となった。そこで、原告は、さらに、同年六月五日、大阪地方裁判所に、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求の訴えを提起し、同年七月三日、第一回口頭弁論期日が開かれた。

本件解雇はその直後になされたもので、被告の労働基準法違反事実を隠蔽する目的であることは明らかである。

第三当裁判所の判断

一  原告の平成一〇年四月以降の出勤の有無が別紙勤務状況一覧表記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、平成八年七月度に三日間病気欠勤、八月度に一〇日間欠勤、九月度に三日間病気欠勤、同年一二月度、平成九年一月度、同年五月度、七月期に各三日病気欠勤があった。

原告は、平成九年七月一〇日付の声帯炎、慢性咽喉頭炎で同日通院したとの医師の診断書を提出したのみで、同月二一日から欠勤を継続した。

このため、被告は、原告に対し、同年一〇月二二日ころ、右同日付の通知書で、就業規則により同年一〇月二一日付で休職を発令する旨の通知をし、以後、原告の欠勤を休職扱いとした。

原告は、平成一〇年四月一四日ころ、被告から、同月二一日をもって休職期間が満了し、復職しない限り退職となる旨の通知を受け、直ちに被告に連絡を取り、復職を申し出て同月二一日から復職した。

原告の、同月二一日以後の勤務状況は別紙勤務状況一覧表記載のとおりであった(出勤の有無のみならず、公休日以外で原告が勤務しなかった日の年休取得、病気欠勤、それ以外の特別休暇及び欠勤の別、原告が勤務しなかった理由、被告が右のような取扱にした経緯、欠勤についての原告からの事前連絡状況等も含め、同表記載のとおりであると認める)。

なお、同表中に欠勤理由が記載されていない日のうち、六月二五日は、原告が、実父を受診させて肺癌と診断された日であり、七月六日は、実父を入院させた日であって、原告はこれらに対応したことを理由として欠勤したものであり、六月三〇日及び七月一日も実父の病気を理由に欠勤したものであり、七月七日及び八日は精神的困憊を理由に欠勤したものである。

また、六月二五日の欠勤や六月三〇日及び七月一日の欠勤、さらに、七月六日以降の欠勤について、原告は、同表記載のとおり当日または前日に連絡はしてきているものの、欠勤理由については家族の具合が悪い、年寄りを病院に連れて行く、年寄りが手術を受けるなどの簡単な説明しかしないため、被告では事情が分からず、七月三日ころ、被告本社から原告に対し、至急証明になるようなものを提出するよう文書で指示した。これに対して、原告が同月九日ころ、ファックスで送信したのは患者の氏名、生年月日、診療開始期間、入院中とのみ記載され、患者の続柄や病名の記載もない簡単な証明書のみであった。

(二)  被告が、日本IBMから委託を受け、堂島事業所で行っている電話による故障受付等の業務は二四時間体制で行われており、時間帯等によって人数は異なるが、一定数の人員を配備することが義務づけられている。このため、被告は、賃金締切日に合わせて、毎月二一日から翌月二〇日までを一期間とし、従業員らの休暇等についての希望等を聞いて日程を調整した上で勤務割表を事前に作成し、これによって、各従業員の勤務日、勤務時間を指定している。このため、勤務割表作成後の事情により、予定された従業員が予定された日に勤務しないときには、他の従業員に出勤を依頼するなどして対応しなければならないことになる。

原告は復職に当たって、年休等の指定をしておらず、このため、平成一〇年五月度の勤務割表は、担当者が適宜年休を配備するなどして作成した。原告は復職後、右のようにして割り振られた年休を取得したのみならず、そのほかにも多数日年休申請をして休暇を取得した(別紙勤務状況一覧表に勤務割表作成後の事後申請と記載があるのはこの趣旨である)。

原告の勤務に関しては、これまでにも、欠勤等が多かったことなどから、被告では、平成九年七月に原告が長期欠勤するようになってのち、従業員を一名増員していた。原告復職後の、原告の勤務時間帯には三名の人員が要求される場合が多かったが、被告は、原告の勤務が当てにできないことから、原告を含め四名を配備することが多かった。このため、原告が欠勤や休暇取得をしても現実に業務に支障を来すということはなかった。

(三)  堂島事務所で行っているコンピューターの故障受付の処理は、主として〈1〉顧客からの電話に出て相談内容を聴取し、メモを作成して必要事項を端末機に入力する、〈2〉顧客に派遣する技術員を選別する、〈3〉派遣する技術員に連絡する、〈4〉連絡後の必要事項を端末機に入力する、という一連の作業であり、右の作業のうち、派遣技術員の選別の判断は、コンピューターや技術員の技術に対する知識を必要とするものである。

原告は、復職にあたり、長い休職による空白期間があるからということで、これらの作業手順等について三日間にわたり改めて上司から教えられ、一旦は右業務についたものの、未だ右業務を十分に処理できなかったことから、技術員選別の必要がないプリンター担当に振り替えられた。

そして、六月下旬ころから故障受付の業務にも従事するようになったが、なおも、技術員選別の判断ができず他の従業員に聞いて処理したり、原告が判断できないでいるため、他の従業員が代わって処理することもあった。

また、原告は、他の従業員とともに勤務しているときは、電話が鳴っても他の従業員が出るのを待ってなかなかこれに出ようとせず、同僚従業員の不満をかっていた。

二  以上の認定事実に対して、

(一)  先ず、原告は、復職するに当たって、上司から年休は何時取得しても構わないと言われていたと主張し、陳述書(書証略)に、堂島事業所に勤務する係長である金本光博からその旨言われた旨記載しているけれど、金本は陳述書(書証略)に、そのような言明をしたことは無い旨記載して、原告が主張する事実を否定しており、堂島事業所での業務の性質からして、いかに長期休職後といえども、管理者側において原告が主張するような発言をするということは考え難いことであり、原告の陳述書の記載は信用できず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

(二)  次に、原告は、平成一〇年五月六日及び七日の欠勤については、診断書を提出しており、病気欠勤として扱われるべきである旨主張し、陳述書(書証略)にもその旨記載するほか、被告に提出したと主張する医師作成の証明書(書証略)を書証として提出している。

しかしながら、金本は陳述書(書証略)に、原告からの診断書の提出はなかった旨記載して原告が主張する事実を否定していること、被告は診断書が出された他の欠勤日については病気欠勤とする取扱を認めていること、原告は他の病気欠勤については本件審理の早期の段階から診断書等を証拠として提出していながら、右証明書のみは、原告が本件を本案として申し立てていた地位保全金員支払仮処分命令事件の決定がなされ、その理由中で診断書の提出がないと判断された後であること、右証明書は、同年五月六日付で、左頚部痛により同日原告を治療した旨記されているだけの簡単なものであって、仮に提出されたとしても有給の特別休暇を付与すべき要件を満たすものではないと解されること等に照らし、診断書を提出したという原告の陳述書の記載は信用できず、右両日は欠勤というべきであって、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

(三)  さらに、原告は、被告が、裁判関係で出勤できない日は特別休暇とすることを約定したと主張し、原告本人尋問において、専務取締役土田幸雄と右約定を交わした旨供述している。

しかるに、(人証略)は、第一回の調停期日に、調停を穏便に解決したい気持ちから同日の欠勤については特別休暇を認める旨述べたに過ぎず、それ以外の裁判関係日については何の約定もしていないと証言して、原告が主張する事実を否定し、陳述書(書証略)にも同旨を記載しているし、原告自身、本人尋問で土田との約定の詳細を問われると、土田の具体的な発言内容は覚えていない、裁判関係が何を指すかの確認はしていないなどと曖昧な供述をしているのであって、これらに照らすと、右約定があった旨いうを原告本人の供述は信用できず、したがって、原告が裁判関係で出勤できなかったという日も、平成一〇年四月二八日を除いて全て欠勤というべきであり、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

(四)  そしてさらに、原告は、実父の病状については上司に説明しており、欠勤については了解を得ていたなどと主張し、本人尋問で、堂島事業所の責任者である課長代理金城貴由希に平成一〇年六月中旬ころ、父親が肺癌らしいこと、平成一〇年六月二五日、三〇日、七月一日、六日の欠勤の連絡時にも父親の容態が悪い旨説明したなどと供述し、陳述書(書証略)にも同旨を記載している。

しかし、この点でも、金城は、陳述書において、原告から、父親が肺癌であるとの説明を受けたことはなく、電話連絡の際に原告が伝えてきたのは、単に年寄りの具合が悪いので休むとか、爺ちゃんが手術するとかいうだけの簡単なものでしかなかったと記載しているほか、証人としても、同旨を証言している。また、被告が、同年七月三日ころ、原告宛に、証明になるものの提出を指示した文書(書証略)には、右のような指示をする理由として、原告が「お年寄りを病院へ連れて行くという理由で」あるいは「お年寄りが手術」という理由で欠勤した等と記載されているのみであり、これによると、被告が、右指示を出したころ、原告の身内の誰が、いかなる疾病に罹患しているのかを認識できていなかったことが窺われる。

これらに照らすと、欠勤に際し実父の病状や容態について説明した旨いう原告の供述や陳述書の記載は信用できず、他に原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

また、原告は、実父を入院させた同年七月六日とこれに続く同月八日までの欠勤は特別休暇が認められるべきであると主張するが、実父の入院に付き添う必要があったとしても、当然には労働義務を免除されるものではなく、しかも、入院は事前に分かっていたはずであり年休取得などで対処することも可能であって、出勤不可能なやむを得ない事情に該当するとは認められず、これに続く同月七日及び八日の不出勤も単に精神的困憊というのみで、そのような原告の心身の状態を裏付ける診断書も提出されておらず(原告は、本人尋問でこれを認めている)、到底出勤不可能なやむを得ない事情があったなどと認めうるものではない。したがって、これらの日もまた欠勤であり、原告の右主張は採用できない。

他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

三  そこで、前記認定事実によって判断する。

(一)  まず、原告に、職務遂行に支障を来すような精神または身体の障害があったと認めるに足る証拠はない。

(二)  また、病気欠勤が認められた日は、特別休暇が認められた日であり、結局、労働義務が免除されたのであるし、有給休暇の取得も同様に労働義務が免除されたのであるから、原告がこれらの休暇取得をしたことをもって、債務の本旨にしたがった労務提供がないとすることはできない。

(三)  しかしながら、原告は休職前にも病気欠勤や継続的な欠勤が少なくなかったし、休暇として労働義務が免除された日を除いても、復職後本件解雇までのわずか二か月一九日の間の欠勤日が一二日にも及んでおり、勤務した日はわずか二四日であり、勤務日の三分の一を欠勤したことになるのであって、まことに異常な事態というほかない。

欠勤日には、裁判関係で欠勤した日(同年五月二二日、六月四日、七月三日)や身内の病気に関係して欠勤した日(同年六月二五日、三〇日、七月一日、六日)も含まれているが、これらの事情があったからといって労働義務が免除されるものでないことは、右に説示したとおりであり、欠勤を正当化できる事情とはいえない。

原告は、このうちの平成一〇年五月一二日は、本来、健康診断受診日であったと主張するが、事前に受診時間を確かめるなどして確実に診断を受けることができるよう準備しておくべきは当然であり、同日、受診時間が短時間で受診できなかったことは、原告自らに帰責事由があることであって、これが欠勤扱いされることもまた当然のことである。

また、これらの欠勤のなかには、理由も十分説明されないまま直前になって連絡がなされたものも少なくないし(六月二五日、三〇日、七月一日、七月六日)、被告が同年七月三日に指示した証明の提出に対して原告が送信した証明書も極めて不十分なものであり、原告の業務に対する責任感の希薄さは顕著である。

さらに、被告の堂島事業所における業務が、必要人員を確保するという義務を伴うものであり、このために勤務割表が作成されたりしていることは原告も当然認識していたはずであるが、原告が取得した年休のうちには勤務割表作成後の申請によるものが少なからず含まれている。本来、労働者の年休取得が業務に支障を来すのであれば、使用者としては時季変更権を行使すべきであるから、労働者の年休取得を非難し、勤怠の判断材料とすることは許されないところというべきであるが、原告の場合には、その勤務が当てにできないことから、あらかじめ増員した人員配備がなされていたという事情があるのであり、このような背景事情と併せ考えるときは右のような事後申請による年休取得もまた非難に値するというべきである。

しかも、原告の勤務態度は、電話対応に出ようとしないために同僚の顰蹙をかっており、原告は、復職後しばらくは、比較的簡単な業務のみを割り振られるという猶予期間的な措置を受けながら、その間も多数日、年休を取得したりして過ごし、もとの電話による故障受付業務に戻されてもこれに十分対応することができない状況にあったのであり、休職期間中の遅れを取り戻そうとする懸命さや熱意は全く認められず、原告の復職は、却って、周囲の同僚の負担を増大させる結果になっている。

このような原告の勤務状況及び勤務態度からすると、被告が、原告に対し勤怠不良で改善の見込がなく、かつ、業務遂行能力または能率が著しく劣り、上達の見込がないと判断したことももっともというほかなく、したがって、本件解雇は相当というべきである。

四  原告は、本件解雇が、労働基準法違反事実の隠蔽のためになされたものであると主張するが、本件解雇当時、被告が従業員に休憩時間の与えない処遇をしていたとの事実を認めるに足る証拠はないし、本件解雇がなされたのは、すでに原告が安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求訴訟を提起した後であり、原告を解雇することによって秘匿隠蔽できる違反事実があったとは考えられず、原告の右主張は採用できない。

五  以上によれば、本件解雇は相当であり有効というべきであって、その無効であることを前提とする原告の請求は理由がない。

(裁判官 松尾嘉倫)

別紙(略)

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